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一日一善ならぬ一日一喝&一自信 バ韓国から帰国してからの 日本での新生活をベースにした万事を綴る。 なお韓流の方はご遠慮を。
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妹とSKYPEをしていて出て来た話。

何となく私が書いてみた日本語がコレ↓


  私は、土曜か日曜に友達を見る考えがあります。


日本語学習者の特に中級前半に見られるor見られそうな日本語(笑)
っぽいでしょ??????
というか…


  オマエは機械翻訳したのか!!!


ってところ。


思いっきり直訳というコレは、
私たち日本人の外国語学習の際にも見られるであろうと。

単語は一対一ではない、ということに気付き
より意識すれば、こういうオカシな直訳は避けられる。
語の機能、表現の機能を確認すれば充分避けられるはず。


自分の外国語は気をつけたいものだ。
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先日、他のメンバーの実習課で「年配」という新出語彙があった。
その際メンバー間で話し合い、併せて「(お)年寄り」という表現に対しても
色々なコメントが出て来た。
一体何歳からならそれぞれを指し示せるのか。
そして発話するこちら側にとっても、自分達が何歳になったら
それらの言葉を使えるのか、許容範囲とでも言おうか。
そんなことを話す機会があった。

「年配」も「(お)年寄り」も、定義は辞書を見れば
確かに早いかもしれないが、
それではあまりにもつまらないではないか。
具体的に事例と共に見ていこう。


【事例1】
担当したそのメンバーバチさんは40代半ばの主婦。
そのバチさんが、以前60少し過ぎの女性(仮称:ババ)に対して
「年配」と使用したことがあると言う。
その際、その場にいた他の人たちから
「ババに"年配"なんてまだ早いわよ、失礼だから使っちゃダメよ。」
と言われたという。 …いや、真っ当だろう。
60の人に年配というのは間違っていないと思う。
若づくりをしていたとしても、見た目が確かに普通よりは
多少若く見えたとしても年配には違いない年齢をしていると思うのだが…。

もちろんバチさんは、その指摘に腑に落ちなかったと言う。
うん、私も腑に落ちない。 納得行かない。
60の人に年配と表現してどこがオカシイのか。
その場にいたヤツらの語感がオカシイことの方が間違いないと思う。


【事例2】
それは今朝の読売新聞に投稿されていた一般購読者からの投書。
8面にある気流というコーナーで、子供の日特集として「遊び」に関する投書が
紹介されているのだが、その中の一つにこうあった。

65歳男性(ちなみに無職ねw)がこう投書している。

「私は、お年寄りを対象として
 回想法という心理療法でボランティアに携わっている。」

 ※文章は私が一部加工。

はて? 65歳のそれこそジジィが「お年寄り」と表現している?
その事実に私は違和感…否、抵抗感&拒否感を持った。

健康上何も問題なく、バリバリ動いて自ら何かをするというような
行動力や積極性を持った人なのかもしれないが、
それでも65という年齢もジジィの分類に、もはや間違いなく含まれるだろう?
65にもなって、まるで「自分はお年寄りではない」と言っているように取れる。
間違いなくそれはオカシイ。

===

以上が事例紹介だが、年配やお年寄りと言った際に
一体何歳からが年配やお年寄りで、
自分達も何歳になったら、相手に対して年配やお年寄りと言えるだろうか
と改めて考えてみると非常に難しい。

況や外国人にその意味の違いだけでなく用法の違いを教え、
理解させ使わせようとすると…いやいや、頭が痛くなるorz

10代の子が「年配」という語彙を使って違和感はないか?
「お年寄り」の方がシックリ来るような感じが私はする。
また社会人になった20代となれば、いくら10代後半と歳が近かったとしても
「年配」という語彙を使っても違和感はそうないと思われる。

「年配」という表現には、社会への寄与度合いが多少なりとも
含まれるのではないか?と私などは感じてしまうが
世の中の人々はどうなのだろうか。


相変わらず「日本語は難しい」。

いよいよ実習も佳境に入って来、
本物の外国人学生相手に日本語を教える実習が始まった。
自分の番はまだ来週なのだが、
他のメンバーがやっているのを見ていると
気になることが山ほど出て来たので
少しずつ紹介していければと思う。


今日は中級の実習だったのだが、
その中の外国人学生を見て思ったことを紹介しよう。

台湾人の女の子で20そこそこ。 名前はクレア。

 ※台湾人は、英文名を普通に持って使っている。
   もちろん顔はクレアではないのは言わずもがな。

こまっちゃくれていて、見るからに
いかにも小生意気な態度に服装、そして化粧に装飾品。
そしてその見た目に全く反せず、授業態度もヒドイものだった。
終始腕を椅子の背もたれの後ろにダラリと出しながら
目だけを動かしながら、やたらとデカイ声で答えるというもの。
回答した日本語で、間違ってはいない部分も確かにあったが
いずれも非常に口語的かつ目上の人に対してや
語学学校の授業では言わない表現・口ぶりで
非常に無礼なものだった。

どうせそんな見た目の子だし、話す日本語も
非常に今の日本の若い輩たちが使うものと同じもの。
ロクでもない日本人の友達というか台湾でのものも含めた交友関係に、
かつアルバイト等で適当に聞きかじって知るようになった日本語
のように思えたたため、外で非論理的に覚えて来たのだ
と察するには充分なものだった。

授業後、彼女の担任であるという日本人教師から
彼女に関する説明が少しあったのだが、
案の定という内容であった。 ある意味納得。
日本語は適当に外で、そして外で会った日本人の若い輩たちのものを
真似て使って分かった気になっているという子だった。
やっぱりな、私が感じたことは間違っていなかった。


かと言って、反対側に座っていた同じく台湾の女の子コウ
香港の女の子シャンはと言えば(いずれも20前半)、
授業中は非常に大人しく、ほとんど答えなかったため
日本語はあまりうまくないのだという判断を下されても
仕方のないほど静かだった。

が、後から聞けば、今日のメンバーの中では
その二人がいわゆる一番デキル学生だと言う。
5名いた中で中級の後半レベルだという。
渦中のクレアはこの春初級から中級に上がったばかりの日本語力。

「外国語ができる=会話力がある」という風な
思考になりがち、直結しがちな我々日本人だが、
外国語ができるとはそれだけではない。
作文・読解・聴解・会話という4技能全てが
高いレベルであるということが、
本来の「外国語ができる」という意味である。

つまり、クレアがいくら口からドンドン言葉が出て来ていたとしても

  発音がおかしかったら
  助詞を間違うどころか落としていたら
  文型が間違っていたら
  副詞の用法が間違っていたら
  接続詞の使い方がおかしかったら
  TPOに合わせた語彙・表現を使えなかったら

それは日本語ができるとは決して言わないのだ。
特に最後の項目は非常に重要かつ
本当の外国語力を測る指針だと言っても過言ではない。

もちろん、クレアがいくら外=日本語学校以外で
日本語を話してコミュニケーションを取れていたとしても
それが果たして正確な日本であるかは誰も知らないし
知り得ないのである。
ということはだ。 彼女は日本語が上手い、などとは
お世辞にも到底言えないレベルなのだということだ。
間違いなくそれは本末転倒である。

間違いなく、彼女は他の生徒よりも会話ができる、
日本語が上手いと、自身で思っているはずだが
こちらからして見ればチャンチャラおかしい話であって、
どう聞いても上手くはないのだ。
上手く聞こえるだけであって、事実は決して上手くはないのである。
そこのところは、お願いだから吐き違えないで欲しいところだ。


そういう【間違った奢り】が横柄な態度を益々取らせ、
そして意味不明な自信を益々持たせるのである。
間違いなく、ね。
だから、そんな奢りは徹底的に叩き潰すほかない。
なぜなら、間違った外国語を使って世を闊歩するほど恥ずかしく、
そして危険かつ不愉快な行為はないからである。


授業の最後に日本人の教師がこうも言っていたのが気に触った。

 「では彼女はなぜあのような態度になるのか?
  それは、彼女の態度や言動が日本人にどう見えているのかが
  分かっていないからなのだ。」

ハ? 日本人にどう見えるか、どう映っているかだけで
あの態度や言動が許されるということなのか?
バカバカしい、非常にバカバカしい発言だ。
日本人にどう見えるか、どう映っているかではない。

人としてどう見られているのかが

分かっていないからだろが。

ボケ。

どの国のどの人種であろうとも、
自分が他人からどう見られているかという客観的視点は
常に持っていなければならないものではなかろうか?

…なんて思うどころか考えているのは
恐らく世界中で日本人だけだと思われる。
日本人だけでなかったとしたら、
ではナゼ世界のあちこちで行われている日本人の行為が
賞賛されたり感心されたりするのか?
だろ?
そういうことに間違いなくつながるではないか。


日本人だけが優秀だとは私も言わない。
むしろ生きるにも堪えないバカが腐るほどいる。
それでも、それでもだ! 世界の人間たちと比べた時
まだマシなのは日本人なのであって、
そんな場所に生まれてそこの文化を貰えた我々は
間違いなくラッキーであり、恵まれていると言えるはずだ。


外国語が何かちょっとぐらいできるだけで
その国の人に対して横柄な態度で授業を受けたり、
無礼な言動でTPOを読まなかったり
などいうことはそうそうないと私は思うのだ。
少なくとも私はそんなことはしない。
そんな態度は取らない。

なぜなら、人は言語力でなく
社会言語力で判断するからだ。
だから私はそんな態度で臨んだりはしない。
そういうことをする人間なのだと判断を下されるだけで、
それは外国語力や言語力以前の問題、
以前のレベルのことであり、
以前の問題、以前のレベルでは
絶対判断されたくないと思うからである。


そういうわけで、クレアに対する担任の言い訳ほど
見苦しく聞き苦しいものはなかったのであり、
そしてクレアに対する我々の評価もまた
高いものではなかったというものである。

口からポンポン言葉が出てきても、
あの態度、あの言動ではね。
品位を疑われただけで、
かつマイナ評価を下されたに過ぎなかったのだった。

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