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一日一善ならぬ一日一喝&一自信 バ韓国から帰国してからの 日本での新生活をベースにした万事を綴る。 なお韓流の方はご遠慮を。
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こうして真夜中起きて何かをやっていると
外からは色々な音が聞こえて来る。
特に今宵のように雨がザンザカ降る日にはね。

うちの裏手とサイドには色々は管が置いてあって
それに強く降る雨が当たったり、滴が激しく落ちて当たると

 カン!

という、実にマヌケな音が聞こえる(笑)
これが非常に笑えるのだ(笑)
あっちこっちで、でも忘れた頃にカン!と鳴り響くから
益々笑えるのだった。

ククククク。
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未然:ドン引かない
連用:ドン引いて ※イ音便(ki→i)
終止:ドン引く
連体:ドン引く
仮定:ドン引けば
命令:ドン引け



そうだよな。 ドン引きされても「上等だっ!」
と迎え撃てればいいだけの話。
迎え撃てずに、そのままドン引きの空気に負ける
そんな自分の方が本当に負けなんだ。
勝つには、まず迎え撃たねば。
納得のいく一言に出会った。


先で触れた外大生の女の子のBLOGにこんなことが書いてあった。
彼女曰く、語学は、「暗記・根気・年期」だそうな。
3KI(笑)ですな、ふむ。

  確かにっ!!!

激しく同意だ。 そうなんだよな、それなんだよ。
それをだ、意識せずに、それもコツコツとできた人が勝ちなんだ。
ガングロだろーが、80歳を超えようが
ヤル気があればできるってもんだ。
中途半端に若さなんてものがあるとダメなんだ。
20代とかね。

※文中の「外大生」とは、東京外国語大学在学生または卒業生のことを意味す。

先日、なぜだか急に外大生のBLOGを読んでみたくなり
ザザッと探して、その中でも自分に合うものをお気に入りに登録した。
そのうちの一つ、外大卒の私よりも若い女の子が書くBLOGが結構気に入っている。

彼女の話を読んでいると、自分の中にブレない一つの確固たる芯があり、
それがこれまでもこれからも絶対にブレないぞ!!!という
そんな生き方が伝わって来る。

かつて私も彼女のように何かに一生懸命真っ直ぐ立ち向かって
たくましく生きた時もあった。 そう、本当に真っ直ぐに。
懐かしい、ただただ懐かしい。
それが今じゃどーよ? ブレたくなくてもブレてしまうこの弱さorz
乾ききってもう何百年と経つ砂漠のようだよ、自分は。
カラカラの乾燥が、もはやデフォルトかのように、ね。


こう、純粋に「頑張って勝ってやるっ!」だとか
「コイツには絶対負けられねーっ!!」だとかいう
戦闘力は愚か、戦闘意欲すら湧いて来ないのがこの数年^^;;
自分、ホント弱くなったなーとガッカリせずにはいられない。

彼女のように、私もまた何かに一生懸命でブレずに生きてみたい。
元気だね、彼女は、本当に。

P.S. 意欲で思い出したが、前職で取引先に居たダンディーなイヨクさん!
   元気でいらっしゃるだろうかw 何を隠そう、私は今でもイヨクファンだっ!!!(笑)

本日は、かねてよりやらなければならなかった衣替えに着手!
と言うよりは…しまうのが面倒だった夏服をしまって、
秋・冬服をキレイに入れ直した、と表す方が正確だw

それにしても今年の夏は本当に暑かったorz
去年は7月に韓国に渡ったものの、
冷暖房が集中管理な挙句、性能が悪い設備なため
夏はクソ暑いか、もしくは極寒の冷房効き過ぎ状態。
冬は人が部屋に居る時はオンドルが効かず(消されているorz)、
人が寝ている時は全開に暑くされ、
そして日中人が不在の時間帯でもガンガン暑くされるという
非常に効率の悪い使い方をされていた。

夏服をしまいながら、今年のあの暑さを思い出したのだが
もしあの暑さが去年韓国で同じように起こっていたら
間違いなく私は死んでいるか、
もしくは入国初日に「もっと」ブチ切れていたに違いない!!!
やはり日本は色々な意味で快適だ。
アイツら、「適度」という言葉を知らない民族ゆえに本当に困るorz
(「適度」に相当する単語はさすがにあるが、そう滅多に使われないのだwww
 使われているのなんて数えるほどにも聞いたことないしーwww)

閑話休題orz

衣替えが済んで部屋の中はスッキリ!
バックも夏物から秋・冬物にチェンジ完了。
靴は先日整理し終えたからバッチリだ。
11月に入ったらコートの準備をすれば良いし…
ってもう明日から11月じゃねーかw
マフラーはまだもう少し平気だな、うむ。

ちなみにパジャマや部屋着は
実は既に衣替えっているw
確か10月半ばぐらいにはほぼ出揃っていた。
ババシャツ出したり、長袖ででも生地が冬仕様のものだとか。

もちろん布団も先週までに衣替え完了済みwww
今年から毛布ナシで過ごせることになったのが嬉しい♪
というのも、母が去年仕入れたフリース素材の布団カバーを
今年度より我が家でデフォルト使用としたのだ。
フリースは、これまで「着るもの」としか認識できなかったが
通販でカバーを発見した母が即購入し、
昨冬、日本に一時帰国した際に使ってみたら
なんと! 平和に温かいではないかっ!!
それも布団のカバーとして掛けて使用し、
毛布を掛ける必要性もなくなった。
そーだよなー、よく考えてみれば
これまで「着て」いたものを、なぜゆえ「敷く」よう
発想が持てなかったのか? そっちの方が不思議だw;;;;;;

こんな経緯で我が家は去年からフリース布団カバーを常用することになり、
今冬より本格使用が始まる。

で、更にだ。 母はやはりすごかった。
フリース布団カバーだけでなく!
なんと!! 敷布団まで断熱&保温性の高いものを発見した!!!
マイクロファイバーというものらしいのだが、
それがまた温かいの何のってっ!!!
敷布団の上に、シーツ代わりに
このマイクロファイバー素材の敷布団を再度敷くだけ。
四ツ角にはゴムがついているので、それで下の敷布団と固定すればOK。
もちろん水洗い可能。 バッチリだね、こりゃ。
落ち度は何もどこもナイ。 最高だ。

まだ敷布団までマイクロファイバーにするのは早いかなー
と思っていたが、築30年の当時の技術で建てられたままの我が家は
隙間風どころか壁から寒さが伝わって来て、
屋内でもかなりな極寒となる(オマエの家は韓国並みかw)。
従って、寒さを我慢するのもあっけなく終了して、
先週初めにマイクロファイバー敷布団も
フリース掛け布団に遅ればせながら数日後デビューしたのだった。

暖房を掛ければ空気がより乾燥して、喉にも地球にもヨロシクない。
フリースの開発とその応用。
こうして日本人(NOT人間ってのがポイントねw)は
古より賢く、自然にもよろしく知恵が働いて来たのだ。
感謝感謝である。


何にせよ、このフリース掛け布団&マイクロファイバー敷布団はオススメ。
今年の冬から是非一家のお供にどーぞ!!!
ここ数日UPする記事が異常に長いな、自分めwww
思うことが多々あるということで、お付き合いのほどヨロシク。

つかBLOGのデザイン、イイのないかな。
これも悪くないけど、もっとイイのにしたい…
と思うのは贅沢か!?
高度先進化するのみの医療だと常々思うのだが、
一体その目的は何なのだろうか?とは考えたことがあるだろうか。
高度先進化する医療の目的とは?

先ほどNHKで認知症に関する番組を見ていた。
最近では薬によって症状を抑えたり、果ては改善させたり、
また、なる相当前に予防ができるという。
確かに痴呆症患者を持つ家族にとっては嬉しいことだと思う。
だが、献身的に最後(最期)まで純粋な心で患者に付き合える身内というのは
はたしてどれぐらいいるのだろう。 否、そもそもいるのだろうかと私は問いたい。
症状は一時的に緩和したとしても、完全に健康体に戻るわけではない。
これは何も認知症だけに限ったものではないことは自明だ。
その一時的なある種の快楽のためだけで
永遠と身内という患者に付き合っっていられるだろうか。
正直、無駄な延命技術や延命治療は、
健常者の生活を破壊する以外のナニモノでもないと思う。

こういう言い方をしたら反発があるだろうが、
私は、患者本人以上に健常者の方が大変だと思う。
それも心身共に。 患者はある意味心の方はもはや正常ではなくなっているため
大変だの大変でないだの、という議論は甚だ無駄なものであると思うからだ。
健常者のためにも、あまり高度な先進医療にならないことが
全ての人間の、果ては全ての生命と
その歴史と未来に対する「礼儀」であると私は思っている。


そもそもである。 これまでそういうった薬どころか
治療技術なき時代に生まれ、そして無情にも死んで行った人達は
一体どうなることだろう。 生きたくても生きられず、
死にたくなくても死ぬことしかできず、
そして逝きたくても逝けなかった人たちは一体どうなる?
彼らに対して逆に私は失礼なのではと思う。
異常なまでの延命治療や延命技術が。
この時代、この技術を有する国に生まれたこと自体が
単に偶然なだけにも拘わらず、
それがあたかも当然かのように振る舞う現代人。
まさにこの薬による治療だったり、
高度先進化し過ぎる医療そのものを反映していると
言えないだろうか。

生物は、40億年前に誕生し、
膨大な時間を経て、その時々の環境や状況、
そしてそれらに対する適応意思によってこれだけ多様化し、
そして進化という迷路に於いても迷うことなく
最終的に進化できたものだけが残っているのが
紛れもなくこの「今」だと思う。
進化という迷路に入ったまま抜け出られなくなったモノは
そのまま生命からの滅亡という道を歩み、
また現生人類になるまでの中でも
その迷路の入ったまま出て来なかった、つまり滅びた人類も
間違いなくいたであろう。
また進化の道を辿れたものであっても、
自然淘汰という法則に負け、再び迷路に戻されたものも多くいただろう。
その法則は、何も単に存在するだけの法則だっただけでなく、
その発生理由も存在意義も充分過ぎるほどあるが故に発生した法則なはずだ。

今私達現代人は、その自然淘汰という法則に対して
無謀にも反旗を翻したと言えなくはなかろうか。
無駄に高度で無駄に先進化した医療は、
生命体そのものの歴史に対して果たして必要なもの「だった」のだろうか?
また、人類が生きて行く上で、この高度先進化する医療というのが
果たして絶対条件「だった」のだろうか?
無駄に医療を極めようという道を歩み始めた瞬間に居た人間は、
その瞬間から、生命体の歴史への反逆の歴史を歩み始めたと言えなくはないか。

単に死んで行けというわけではない。
無駄に延命治療をして、それによって健常者の社会が必要以上に壊され、
全ての生命体のこれまでの歴史に対する全否定とも言えるこの行為が
謀反となっているのは一体どういうことだろう。
まずそこに気付くことが必要であろう。
自然淘汰という、生命体がこれまで自然の摂理の一つとして行なって来たものを
人間というたった一種類の生命体だけが、たった短い時間で
それも人間だけの独断と偏見で、破壊し、更には人間だけが
永遠に生命を維持していこうというエゴは、
一体この先何を産めるというのだろう。


それよりも、私は新しく生まれて来る命をより大切に誕生させ、
より良く育み、未来を行き抜ける人類となるべく教育すべきではないかと思うのだ。
未来の開拓者を、現在で育てることこそ
過去と現在の自分を未来に生かせる&活かせる方法ではないだろうか。

自然の摂理である自然淘汰。 意味なくして発生した法則ではない。
過去に於いて、必要であったからこそ、そして発生の意義があったからこそ
発生して来たものなのである。 それを「今生きている人間」だけで
勝手に全ての生命体の法則を破壊するのは如何なものかと思わずにはいられない。

自然の摂理に逆らうことこそ、人間、ひいては生命体全ての存在を消す
唯一無二の道であるということに、果たして人間はいつ気付けるのか。
高度過ぎることも先進過ぎることもよろしくない。
人類「適度」を忘れたら最後だろう。


長く生きることが一体どういうことなのか?
何をもたらすのか? 何をもたらせると言うのか?
健常者ですら満足に示せないものを、況や…。

人間は、健康で居られる時だけが唯一
人間たらしくいられる瞬間だと、思わずにはいられない。

死の後に何が残り、何がなくなり、何がどうなるのか。
人間の存在や人間が身に付けた技術なんて、
宇宙の始まりから見たら所詮大したものではないだろうに…。
だとしたら、やはり生まれ出る瞬間を大事にしては如何だろうか。
命だけではない。 考え、意見、気持ち、価値観など
生まれるものなら色々と言えるではないか。
何事も、生まれる瞬間を大切に。
そしてそれを少しでも育み上げる。
いずれにせよ、自分の死の瞬間、
それらも自分と一緒に消えていくものが大半なのだから…。

命に無駄にしがみ付いている人たちにだけ告ぐ。
何のために高度先進医療なる、
生命への謀反に甘んじて生き延びようとするのか。
全生命が納得する理由を述べられた時にのみ
それは実現するだろう。
生きるのに理由なぞナイと言うのであれば、
では死ぬに理由もないということだ。 そうだろう?
ただ、理由なき存在した生命が
これまで一体どういう運命を辿ったのか今一度学び直すが良い。
滅亡と言う名の迷路。 退化と言う名の迷路。
いずれかで彷徨って、そのままそれぞれの迷路から
抜け出せなかったということを、私からまず教えてあげよう。

 生きたくても死ななければならない人。
 死にたくなくても死ねない人、死んではいけない人。
 生きていてはいけないのに生きている人。
 死にたくなくても死ななければならない人。
 生きるべくして生きている人。
 死ぬるべくして死ぬる人。
 死ぬるべくして死ななければならない人。

色々な人がいるのだということを、
私たちはまず知らなければならない。

生きるのに理由なぞ不要だと言うのならば
死なない理由なんぞも当然ない、と私は教えてあげよう。
これで勇気が持てるはず。
生きることにも、死ぬることにも。
以前ここで書いたかもしれないが、
そんなことは無視して(w)再び書いてしまおぅ。

突然だが…人間、物凄いストレスを感じている時こそ
気が楽になりたい、ストレス発散したいと思うだろうが
私の場合のそれは、

 未知の外国語に着手する。

以上、まる。 …ではなくw
そうだ!そーだった!と今、本当~~~に久しぶりに
クソマジメに思い出したのだwww
思い出してしまったので書いてみただけだけどw;;
私の、気の楽になる方法がコレだ。


で、ここ数ヶ月何語をやろうか、何語をやりたいか…
なんてことだけで頭の中をいっぱいにして
実は過ごしていたのだが(ォィ)、
どれもこれも「コレッ!」というのが来ないorz
かなり色々な言語を当たってみたんだけどねー。
※ヒンランド語は、以前書いたように、現在情熱が冷めた為、一旦保留中。

そんな中で候補を絞りつつあるのが以下。

  ロシア語
  ドイツ語
  トルコ語

いずれも印欧(インド・ヨーロッパ)語族の言語だが

  スラブ系
  ゲルマン系
  トゥルク系

と系統はどれもバラバラ。
それぞれの間で長い歴史の中、
借用して来た語彙や文法規範等はあるものの
似ている度合いはそーでもない。

で。
これら3つが候補に挙がって来られた理由はと言えば、

 ①ロシア語
  とにかく文字がイケているw
  あのキリル文字! 書くのが面白い。
  そして「あの」音韻変化が非常に興味深い。
  もはや鳥肌ものw
  そして有用性も意外とありそう。

 ②ドイツ語
  ドイツ語ができると北欧諸語の
  デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語の助けになる。
  また、綴りと発音がそんなに掛け離れていない為
  ストレスも少なそう。
  子音の連続にもちょっと魅かれる。
   ※それこそ10年程前は子音の連続なんて
     私にとっては絶対にアリエナイ音楽だったw
  ただし、あくまで北欧諸語への入り口としての言語のため
  腰を据えてはできない(と思う)。

 ③トルコ語
  文法が日本語と似ている(膠着語)。
  トルコ語が分かると中央アジア諸言語の助けになるw
  実にこの点が重要かつ有用で、
  ロシア語とトルコ語ができれば、中央アジアに行けるという(以下省略)。
  そしてこれまた綴りと音声とが掛け離れ過ぎていない。


どの言語にしても、発音の難易は問題ではない。
だったら日本語だって発音は難しいべ?
標準語でも人によって色々な発音をしているし、
方言だって全部聞き取れているわけではない。
というわけで、発音の難易はほぼ無関係 for 私。


ぇ? 韓国語と全く関係ない?
そりゃそーでしょ。 今私は韓国とか中国とか
東アジアから一旦完全に離別したいんだからwww
あー…けど北京語は正直仕事での有用性は高いし、
廣東話は純粋に私の興味を掻き立てるものを持っているし。
やらないわけでもないんだなーこれが。
けれど、絶対これは言える。

 韓国語だけはしばらく絶対やりたくない。

仕事としてね、ってことで。
趣味レベルでも極力避ける&INGが、そこはスルーでw


で、なぜ未知の外国語に着手することがストレス発散になるのか?
ここが気になる所だと思うが、自己分析によると恐らくこうである。

未知の外国語というのはもちろん
音声や文字の読み方・単語・文法等々
何から何まで最初は分からないものである。
でだ。 ここからがポイント。
分からないから致し方なく最初からやるしかなく、
分からなくて困りながらも、それでもその分からないを越えようと
とにかくドンドン進めて習得しようとする。
そうしないといつまで経っても前には進めないし分かりもしないからだ。
こういうかなりの没頭状態にハマり、
そしてその時間が長ければ長いほど実は良いのだが(笑)
この過程、つまり未知の外国語が分かるようになる過程が
まるで本来のストレスから解放されたような気がするのである。
不思議不思議w が、未知に没頭したからと言って
ストレスが実際に解消されたり、問題がいつの間にか
解決されている!というような画期的なことは全くないw

それにしてもなんでだろうな。
そんなんで気が楽になっているのはw
それだけ自分は単純なんだなぁ。
英語をテーマにしているが、
外国語学習には必要な発想がたくさん書かれているので
是非紹介しようと思う!

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