[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『新鮮イカ学』
(笑)
イカの学問、確かにアリエルよな。
イカの専門家もいることだしw
でも本のタイトルで改めて見ると
思わずプッと笑いたくなってしまう。
あー でも目次を見たらスルメイカについても
書かれていたようだから、
ちょっとその辺は面白そうだと思った。
意外と興味深いかもね。
語学の検定試験が一番嫌いである。
なぜなら、合格することが最終目標ではないため。
検定試験合格=最終目標になり下がる気は毛頭ないため、
なのでハナから嫌悪感を抱いている。
いや、世の中がこの「検定試験合格=最終目標」
のように感じられるから嫌いなのであって、
自分はそのために使いはしないし、
別にそういう理由で受験している人がいても
何ら私には害がないので、所詮どうでも良いことである(笑)
大体、検定料を払うことで自分の語学力を測られたくないね、ケッ。
と言ったところだw
何か申請する際に指標となるものとして提出せざるを得ない場合は
致し方あるまいが、そもそもあの何級に合格しないと!
というのが、どうもマイナスの意欲を呼び起こさせる気がするのだ。
詰まるところ…「何級に合格することが次に進む通行証だっ!!」
のような雰囲気を、私は世の検定受験の雰囲気から感じてしまう。
それって本末転倒じゃね? というのが持論だ。
そこは、自分が勉強した中で、どこまで何がどうできるのかを
確認する手段の一つにしか過ぎないと思うからだ。
検定試験とは、そういうものである方が受験する方も気が楽ではないだろうか?
もっと詰まるところ、合否は単なる通過点に過ぎない、ということだ。
検定なんぞ、指標で良いのだ。 バロメータ以外の何物でもないのだ。
というわけで、何か語学の検定試験を備えている人がいれば、
まぁ受験料を無駄にはしないゾ!という心構えを優先して
受験して来るのが、気が楽だと思う(笑)
さてさて。
世の中検定と言っても、何も語学だけに限ったものではなく
とかく日本人は検定好きなので、
もはや昨今の検定ブームなる意味不明なブームが起きてしまっているがw
そんな中、先日書店でオモシロイ検定試験の公式テキストなるものに遭遇した。
それも
Pain-cierge(パン・シェルジュ)検定
ナンダソレ(笑) パン好きな私なもので、思わず手に持ったものの
こんなんで検定やって何の意味があって
何に役立つんだ? この資料としての代金出すだけでも無駄だw
などと思ってしまったため、
一応知識だけは大体頭に入れて棚に戻して帰って来た。
私としては、こんな検定が存在して内容がどうだとか
などということは所詮どうでもよく、
そんなことよりも、
こういうメチャクチャな造語は
最初からやらないで貰いたいものだ
という方に思いが行ってしまふw
数日後、妹に「Pain-cierge検定なんてあるみたいだ」
と話をしてみたところ
「出たー。 日本人って検定ホント好きだよね」
という呆れオーラ全開のコメントを頂けるに至った(笑)
こんなことに時間とお金を費やすなら、
もっと社会人としての基本的なことや常識を完璧にマスターできるように
それらを費やし給へ、と私は声を大にして言いたい。
外からは色々な音が聞こえて来る。
特に今宵のように雨がザンザカ降る日にはね。
うちの裏手とサイドには色々は管が置いてあって
それに強く降る雨が当たったり、滴が激しく落ちて当たると
カン!
という、実にマヌケな音が聞こえる(笑)
これが非常に笑えるのだ(笑)
あっちこっちで、でも忘れた頃にカン!と鳴り響くから
益々笑えるのだった。
ククククク。
未然:ドン引かない
連用:ドン引いて ※イ音便(ki→i)
終止:ドン引く
連体:ドン引く
仮定:ドン引けば
命令:ドン引け
そうだよな。 ドン引きされても「上等だっ!」
と迎え撃てればいいだけの話。
迎え撃てずに、そのままドン引きの空気に負ける
そんな自分の方が本当に負けなんだ。
勝つには、まず迎え撃たねば。
納得のいく一言に出会った。
※文中の「外大生」とは、東京外国語大学在学生または卒業生のことを意味す。
先日、なぜだか急に外大生のBLOGを読んでみたくなり
ザザッと探して、その中でも自分に合うものをお気に入りに登録した。
そのうちの一つ、外大卒の私よりも若い女の子が書くBLOGが結構気に入っている。
彼女の話を読んでいると、自分の中にブレない一つの確固たる芯があり、
それがこれまでもこれからも絶対にブレないぞ!!!という
そんな生き方が伝わって来る。
かつて私も彼女のように何かに一生懸命真っ直ぐ立ち向かって
たくましく生きた時もあった。 そう、本当に真っ直ぐに。
懐かしい、ただただ懐かしい。
それが今じゃどーよ? ブレたくなくてもブレてしまうこの弱さorz
乾ききってもう何百年と経つ砂漠のようだよ、自分は。
カラカラの乾燥が、もはやデフォルトかのように、ね。
こう、純粋に「頑張って勝ってやるっ!」だとか
「コイツには絶対負けられねーっ!!」だとかいう
戦闘力は愚か、戦闘意欲すら湧いて来ないのがこの数年^^;;
自分、ホント弱くなったなーとガッカリせずにはいられない。
彼女のように、私もまた何かに一生懸命でブレずに生きてみたい。
元気だね、彼女は、本当に。
P.S. 意欲で思い出したが、前職で取引先に居たダンディーなイヨクさん!
元気でいらっしゃるだろうかw 何を隠そう、私は今でもイヨクファンだっ!!!(笑)
思うことが多々あるということで、お付き合いのほどヨロシク。
つかBLOGのデザイン、イイのないかな。
これも悪くないけど、もっとイイのにしたい…
と思うのは贅沢か!?
一体その目的は何なのだろうか?とは考えたことがあるだろうか。
高度先進化する医療の目的とは?
先ほどNHKで認知症に関する番組を見ていた。
最近では薬によって症状を抑えたり、果ては改善させたり、
また、なる相当前に予防ができるという。
確かに痴呆症患者を持つ家族にとっては嬉しいことだと思う。
だが、献身的に最後(最期)まで純粋な心で患者に付き合える身内というのは
はたしてどれぐらいいるのだろう。 否、そもそもいるのだろうかと私は問いたい。
症状は一時的に緩和したとしても、完全に健康体に戻るわけではない。
これは何も認知症だけに限ったものではないことは自明だ。
その一時的なある種の快楽のためだけで
永遠と身内という患者に付き合っっていられるだろうか。
正直、無駄な延命技術や延命治療は、
健常者の生活を破壊する以外のナニモノでもないと思う。
こういう言い方をしたら反発があるだろうが、
私は、患者本人以上に健常者の方が大変だと思う。
それも心身共に。 患者はある意味心の方はもはや正常ではなくなっているため
大変だの大変でないだの、という議論は甚だ無駄なものであると思うからだ。
健常者のためにも、あまり高度な先進医療にならないことが
全ての人間の、果ては全ての生命と
その歴史と未来に対する「礼儀」であると私は思っている。
そもそもである。 これまでそういうった薬どころか
治療技術なき時代に生まれ、そして無情にも死んで行った人達は
一体どうなることだろう。 生きたくても生きられず、
死にたくなくても死ぬことしかできず、
そして逝きたくても逝けなかった人たちは一体どうなる?
彼らに対して逆に私は失礼なのではと思う。
異常なまでの延命治療や延命技術が。
この時代、この技術を有する国に生まれたこと自体が
単に偶然なだけにも拘わらず、
それがあたかも当然かのように振る舞う現代人。
まさにこの薬による治療だったり、
高度先進化し過ぎる医療そのものを反映していると
言えないだろうか。
生物は、40億年前に誕生し、
膨大な時間を経て、その時々の環境や状況、
そしてそれらに対する適応意思によってこれだけ多様化し、
そして進化という迷路に於いても迷うことなく
最終的に進化できたものだけが残っているのが
紛れもなくこの「今」だと思う。
進化という迷路に入ったまま抜け出られなくなったモノは
そのまま生命からの滅亡という道を歩み、
また現生人類になるまでの中でも
その迷路の入ったまま出て来なかった、つまり滅びた人類も
間違いなくいたであろう。
また進化の道を辿れたものであっても、
自然淘汰という法則に負け、再び迷路に戻されたものも多くいただろう。
その法則は、何も単に存在するだけの法則だっただけでなく、
その発生理由も存在意義も充分過ぎるほどあるが故に発生した法則なはずだ。
今私達現代人は、その自然淘汰という法則に対して
無謀にも反旗を翻したと言えなくはなかろうか。
無駄に高度で無駄に先進化した医療は、
生命体そのものの歴史に対して果たして必要なもの「だった」のだろうか?
また、人類が生きて行く上で、この高度先進化する医療というのが
果たして絶対条件「だった」のだろうか?
無駄に医療を極めようという道を歩み始めた瞬間に居た人間は、
その瞬間から、生命体の歴史への反逆の歴史を歩み始めたと言えなくはないか。
単に死んで行けというわけではない。
無駄に延命治療をして、それによって健常者の社会が必要以上に壊され、
全ての生命体のこれまでの歴史に対する全否定とも言えるこの行為が
謀反となっているのは一体どういうことだろう。
まずそこに気付くことが必要であろう。
自然淘汰という、生命体がこれまで自然の摂理の一つとして行なって来たものを
人間というたった一種類の生命体だけが、たった短い時間で
それも人間だけの独断と偏見で、破壊し、更には人間だけが
永遠に生命を維持していこうというエゴは、
一体この先何を産めるというのだろう。
それよりも、私は新しく生まれて来る命をより大切に誕生させ、
より良く育み、未来を行き抜ける人類となるべく教育すべきではないかと思うのだ。
未来の開拓者を、現在で育てることこそ
過去と現在の自分を未来に生かせる&活かせる方法ではないだろうか。
自然の摂理である自然淘汰。 意味なくして発生した法則ではない。
過去に於いて、必要であったからこそ、そして発生の意義があったからこそ
発生して来たものなのである。 それを「今生きている人間」だけで
勝手に全ての生命体の法則を破壊するのは如何なものかと思わずにはいられない。
自然の摂理に逆らうことこそ、人間、ひいては生命体全ての存在を消す
唯一無二の道であるということに、果たして人間はいつ気付けるのか。
高度過ぎることも先進過ぎることもよろしくない。
人類「適度」を忘れたら最後だろう。
長く生きることが一体どういうことなのか?
何をもたらすのか? 何をもたらせると言うのか?
健常者ですら満足に示せないものを、況や…。
人間は、健康で居られる時だけが唯一
人間たらしくいられる瞬間だと、思わずにはいられない。
死の後に何が残り、何がなくなり、何がどうなるのか。
人間の存在や人間が身に付けた技術なんて、
宇宙の始まりから見たら所詮大したものではないだろうに…。
だとしたら、やはり生まれ出る瞬間を大事にしては如何だろうか。
命だけではない。 考え、意見、気持ち、価値観など
生まれるものなら色々と言えるではないか。
何事も、生まれる瞬間を大切に。
そしてそれを少しでも育み上げる。
いずれにせよ、自分の死の瞬間、
それらも自分と一緒に消えていくものが大半なのだから…。
命に無駄にしがみ付いている人たちにだけ告ぐ。
何のために高度先進医療なる、
生命への謀反に甘んじて生き延びようとするのか。
全生命が納得する理由を述べられた時にのみ
それは実現するだろう。
生きるのに理由なぞナイと言うのであれば、
では死ぬに理由もないということだ。 そうだろう?
ただ、理由なき存在した生命が
これまで一体どういう運命を辿ったのか今一度学び直すが良い。
滅亡と言う名の迷路。 退化と言う名の迷路。
いずれかで彷徨って、そのままそれぞれの迷路から
抜け出せなかったということを、私からまず教えてあげよう。
生きたくても死ななければならない人。
死にたくなくても死ねない人、死んではいけない人。
生きていてはいけないのに生きている人。
死にたくなくても死ななければならない人。
生きるべくして生きている人。
死ぬるべくして死ぬる人。
死ぬるべくして死ななければならない人。
色々な人がいるのだということを、
私たちはまず知らなければならない。
生きるのに理由なぞ不要だと言うのならば
死なない理由なんぞも当然ない、と私は教えてあげよう。
これで勇気が持てるはず。
生きることにも、死ぬることにも。
思い出したことがあるので、下記しようと思う。
この間辞めた会社で、この春先から
「また」ロクでもないトラブルが起きているらしい。
正確に言えば「勝手に起こして勝手に騒いでいる」らしい。
トラブルを起こしているバカはFACE、男性35歳前後。
マレーシア華僑で、日本人の妻と子供が2名いる。
在籍歴は3~4年になるらしい。
コトの発端は4月に行なわれた人事査定面接。
昨年ロクな成績しか出していなかったため
当然のことながら大幅減俸となった。
ら、その面接の際に図々しくも
「毎月の給与が減るのは家計的に厳しいので
夏のボーナスから引いてくれ。」
と言いだしたそうな。
遅刻常習犯である専務の直属部下であったため、
当初この対応を専務に任せていたのだが
そもそもそれが間違いだったのではないかと私は思う。
この遅刻常習専務は、遅刻するだけでなく
誰からのお誘いや脅迫であってもNOとは絶対に言えないという
非常に弱い人間。 こんなヤツが部下を監督できると思うか?普通。
結局というか、案の定こんな専務だから
小賢しい&非常識な外国人FACEを言いくるめるなんてことはできずに
ノコノコと負けた。 死ね、専務。
会社は、致し方なく夏のボーナスから減俸額を引くことを最終決定したのだが、
その夏のボーナス支給日であった7月初旬。
本人自ら申し出た通りにして、
ボーナス額から減俸分を引いた額をボーナスとして支払ったら
FACEから「そんな話は聞いていない」と言われたそうな(笑)
更にFACEは、「そんなんだったら辞める」と
辞めるように動いたわりには、
「有給休暇全ての消化と
今年度分の夏休み3日分を支給してから解雇にしろ」
と言ったのだ!!! 解雇じゃなくてそれは純粋に退職だろ?ってのw
だが解雇にするのは面倒な上に面白くないため
致し方なくそれら休暇を全て与えたら再出勤命令を出したところ、
このFACE、小賢しくも会社から解雇を引き出そうと
ニセの鬱病診断書を持って来た!!!
最終的には、労災提訴し、
かつ今回の減俸はハナから全くなかったことにしろと
脅迫をして来たのだった。 それも弁護士ぐるみで。
一体どんな弁護士だってんだ。
バカな外国人FACEを相手にする時点でまず終わってるよな。
今の世の中日本人でされ、ロクな奴がいないのに
況や外国人なんて話になるはずがない。
そしてそれに着いて、言う通りにしか動けないバカなニセ弁護士。
どいつもこいつも死んで詫びるにしか値しない。
①マレーシア華僑
②妻が日本人
③在日歴15年程になるわりには日本語下手すぎ
④遅刻常習犯専務(=甘く見られている)の部下
⑤査定面接=自分の意見を押し通す場ではない所で
会社はそれに負けた
⑥ボーナスからの減給を念書に書かせていない会社
⑦被雇用者本人からの申し出にも拘わらず
後からそれを帳消しにされて負けた会社
アホとしか言いようのない彼らの日々は、
仕事とは到底言えないのだった。
あんな会社辞めて正解だったなぁ。
何よりも、本当の鬱病患者に対する大変な失礼だと私は思う。
別に鬱病患者擁護の立場でモノを言っているつもりはないが、
医者にニセの診断書を書かせ、
それを承知して書いた医者もふざけたもんだ。
こんな日本、今一度原爆落とされたし候。