一日一善ならぬ一日一喝&一自信
バ韓国から帰国してからの
日本での新生活をベースにした万事を綴る。
なお韓流の方はご遠慮を。
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大学時代にラテン語の授業で2年間お世話になった
柳沼重剛先生が、2008年に亡くなられていたことを今更ながらに知った。
私は2000年と2001年の各通年、ラテン語Ⅰ~Ⅳまでを受講したのだが、
当時先生は定年されて嘱託としてこのラテン語の授業を週に一度担当されていた。
そして2002年3月、その嘱託としての教員人生も終了されるということで
先生の人生に於ける【最後の学生】となったのは、私を含めて3人だった。
音楽学部楽理学科のザンちゃん(私と同い年)と
同じく音楽学部の器楽学科先輩の方と私。
授業は、金曜日の4限目ということもあって
しょっちゅう居眠りをしてしまったのもまた事実であったが、
そんな私でも声を大にして言えるのは、
先生の授業は本当に興味深かったということだ。
柳沼先生は、博学な大学の教員なのだと私は思う。
自分の研究内容だけをひたすら話し続ける大学教員、
いわゆる教育ができない大学教員が溢れる中、
先生はご自分の研究されて来たこととそれを実際の社会とを結びつけて
今を生きる私たちに何をどのように見て、どのようにして行くのかということを
非常にしっかりと地に足のついたオーラと共に
私達3名に伝えて下さったと感じている。
私たちはそれぞれ専門は異なるものの、
縁あって金曜4限のラテン語の授業で会うことになり、
何よりも柳沼先生と共に時間を共有させて貰えたことで
大学で学ぶこととは一体何なのか、
学んだことはいずれにせよ社会に還元せねばならないのだ
と思わせて頂いたのだと私は切に思える。
毎学期、テストの代わりに学期中に学んだ課全部の
ラテン語作文を提出することになっていたのだが、
どれ一つとして正解していない私のラテン語作文を
先生は、毎回一つ一つ丁寧に添削してコメントを書き加えて下さった。
2年も受講していながら、こんなにも不出来な学生で
本当に申し訳なかったと今でも思うのだが、
2001年後期分、つまり2002年1月末に提出した最後の作文レポートが
3月も終わる頃、郵便で返送されて来た。
提出の際に、郵送返却するので住所を教えて欲しいと仰ったのだが、
そのレポートの最後には、赤いボールペンでこう記してあった。
「春からNHKで講座を受け持っています。
よろしければご参加ください。」
ラテン語に興味があった私だから大学でも履修したし、
またこの連絡を見てもまた、是非受講したい!と思ったのは本心だったが、
何分かなりの不出来だったため、このような学生では先生に失礼だと思い
受講するのをやめてしまい、その後もついに一度も受講することはなかった。
何年かして、この講座についてやはり受講しようと調べたが
私の検索下手のせいか、見つけることができずに終わってしまい、
でも先生の講演のようなものがあれば是非聞きに行きたいとはずっと思っていた。
それが先ほどふと調べたことで、先生の訃報を初めて知るようになり、
今非常にショックを受けている。
本当に最後の最後まで、私は不出来な学生、不出来な人間だった、と。
恩を仇で返した、そんな気がしてならない。
恐らく自分ももう二度と大学で勉強することもなければ、
ましてや柳沼先生のような方にお会いできることも
先生のような方の下で学べる機会も二度と来ないであろう。
そう思うほど、当時の自分の勉強不足と不出来さ、
そしてあの時間の尊さが身にしみて、先生に対する申し訳なさと
悔しさとが湧きあがって来て止まない。
柳沼先生、ご冥福をお祈り申し上げます。
どうもありがとうございました。
そしてご挨拶が遅すぎたことも含め
不出来な最期の学生で申し訳ございませんでした。
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