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一日一善ならぬ一日一喝&一自信 バ韓国から帰国してからの 日本での新生活をベースにした万事を綴る。 なお韓流の方はご遠慮を。
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先で触れた外大生の女の子のBLOGにこんなことが書いてあった。
彼女曰く、語学は、「暗記・根気・年期」だそうな。
3KI(笑)ですな、ふむ。

  確かにっ!!!

激しく同意だ。 そうなんだよな、それなんだよ。
それをだ、意識せずに、それもコツコツとできた人が勝ちなんだ。
ガングロだろーが、80歳を超えようが
ヤル気があればできるってもんだ。
中途半端に若さなんてものがあるとダメなんだ。
20代とかね。

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以前ここで書いたかもしれないが、
そんなことは無視して(w)再び書いてしまおぅ。

突然だが…人間、物凄いストレスを感じている時こそ
気が楽になりたい、ストレス発散したいと思うだろうが
私の場合のそれは、

 未知の外国語に着手する。

以上、まる。 …ではなくw
そうだ!そーだった!と今、本当~~~に久しぶりに
クソマジメに思い出したのだwww
思い出してしまったので書いてみただけだけどw;;
私の、気の楽になる方法がコレだ。


で、ここ数ヶ月何語をやろうか、何語をやりたいか…
なんてことだけで頭の中をいっぱいにして
実は過ごしていたのだが(ォィ)、
どれもこれも「コレッ!」というのが来ないorz
かなり色々な言語を当たってみたんだけどねー。
※ヒンランド語は、以前書いたように、現在情熱が冷めた為、一旦保留中。

そんな中で候補を絞りつつあるのが以下。

  ロシア語
  ドイツ語
  トルコ語

いずれも印欧(インド・ヨーロッパ)語族の言語だが

  スラブ系
  ゲルマン系
  トゥルク系

と系統はどれもバラバラ。
それぞれの間で長い歴史の中、
借用して来た語彙や文法規範等はあるものの
似ている度合いはそーでもない。

で。
これら3つが候補に挙がって来られた理由はと言えば、

 ①ロシア語
  とにかく文字がイケているw
  あのキリル文字! 書くのが面白い。
  そして「あの」音韻変化が非常に興味深い。
  もはや鳥肌ものw
  そして有用性も意外とありそう。

 ②ドイツ語
  ドイツ語ができると北欧諸語の
  デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語の助けになる。
  また、綴りと発音がそんなに掛け離れていない為
  ストレスも少なそう。
  子音の連続にもちょっと魅かれる。
   ※それこそ10年程前は子音の連続なんて
     私にとっては絶対にアリエナイ音楽だったw
  ただし、あくまで北欧諸語への入り口としての言語のため
  腰を据えてはできない(と思う)。

 ③トルコ語
  文法が日本語と似ている(膠着語)。
  トルコ語が分かると中央アジア諸言語の助けになるw
  実にこの点が重要かつ有用で、
  ロシア語とトルコ語ができれば、中央アジアに行けるという(以下省略)。
  そしてこれまた綴りと音声とが掛け離れ過ぎていない。


どの言語にしても、発音の難易は問題ではない。
だったら日本語だって発音は難しいべ?
標準語でも人によって色々な発音をしているし、
方言だって全部聞き取れているわけではない。
というわけで、発音の難易はほぼ無関係 for 私。


ぇ? 韓国語と全く関係ない?
そりゃそーでしょ。 今私は韓国とか中国とか
東アジアから一旦完全に離別したいんだからwww
あー…けど北京語は正直仕事での有用性は高いし、
廣東話は純粋に私の興味を掻き立てるものを持っているし。
やらないわけでもないんだなーこれが。
けれど、絶対これは言える。

 韓国語だけはしばらく絶対やりたくない。

仕事としてね、ってことで。
趣味レベルでも極力避ける&INGが、そこはスルーでw


で、なぜ未知の外国語に着手することがストレス発散になるのか?
ここが気になる所だと思うが、自己分析によると恐らくこうである。

未知の外国語というのはもちろん
音声や文字の読み方・単語・文法等々
何から何まで最初は分からないものである。
でだ。 ここからがポイント。
分からないから致し方なく最初からやるしかなく、
分からなくて困りながらも、それでもその分からないを越えようと
とにかくドンドン進めて習得しようとする。
そうしないといつまで経っても前には進めないし分かりもしないからだ。
こういうかなりの没頭状態にハマり、
そしてその時間が長ければ長いほど実は良いのだが(笑)
この過程、つまり未知の外国語が分かるようになる過程が
まるで本来のストレスから解放されたような気がするのである。
不思議不思議w が、未知に没頭したからと言って
ストレスが実際に解消されたり、問題がいつの間にか
解決されている!というような画期的なことは全くないw

それにしてもなんでだろうな。
そんなんで気が楽になっているのはw
それだけ自分は単純なんだなぁ。
英語をテーマにしているが、
外国語学習には必要な発想がたくさん書かれているので
是非紹介しようと思う!

こちらのサイト


韓国語の家庭教師の件。
約2ヵ月が経とうとしているが、ココに来て問題が生じた。

いや、実はウスウスは気付いてはいたが(ォィw)
私のやっていることが「激しく難しい」らしいのだ。
詳細を書いていると非常に長くなってしまうので
勝手に割愛させていただくが、
ここでは結論及びそれに対する所感を述べさせていただく。
勉強を見ている方には申し訳ないが、
何せココは「自分のための」スペースなんでねw
(と言いつつも必要な経過部分は書きます。)

彼女曰く「難しくて分からなくて、覚えられない」そうなのだが、
それには2つの対象先がある。

 ①現在通っているカルチャーセンターでの内容に対して
 ②私の教えていることが高度であることに対して

確かに②は言えていると思う(失礼w)。
かなり専門的な内容やツール(言語学だったり)を
使って説明や教授しているから。
この部分は事実だから否定はしない。
ただ、専門的な内容ほど基本の基本、根本を突いているから
私はそれを引用して来ているのであって、
理由なくしてやっているわけではないことは
主張して良い箇所だと私は思う。

ただ、①に対してはこう言えよう。
カルチャーセンターでのテキストを見たところ、特段難しいものではない。
それまでの課で出て来た内容で理解ができる。
(そもそも、テキストと名を打って売っているものなのだから
 そんなことは当たり前で、「教科書」としての前提なのだが…)
で、彼女の言う「分からない」という原因はどこにあるのかと言えば
私の感じる限り、基礎が分かっていない所にある。

 基礎が分からない
   ||
 理解できていない
   ||
 もう一度戻って学び、そして習得する必要がある

ということなのだが、残念ながらそれに気付いていない。
この、「気付かない」ということもまた人間の性の一つかもしれないが、
その基礎をやるべく、私はかなり戻った内容を
それも毎度特製の使用を持参して手ほどきしているわけだ。
その辺の重要性を理解するには、
やはりそれ相応のレベルに達してこそだと思うが
できる限りそこを、早い段階で気付いて欲しいというのが
外国語を教える側の意見でもある。


ここで一つ。
理解することは大抵の人はできる行為である。
が、外国語で必要かつ重要になって来るのは
そこから先にある「習得」なのだ。
理解していても習得できていなければ、
所詮外国語は使えてるとは言えないし、
「外国語ができる」と言われても
そんなものは本人の思い込み、幻覚でしかない。
厳しいことを言うようだが、「語学で食べる」というのは
そんな簡単にできることではない。
「語学で食べ」なくとも、「語学ができる」ことは
そんなに簡単に到達できるレベルではない。
それ相応の努力と時間と費用と、そして習得能力が必要だと
私は切に思う。

そして

 知る
 分かる
 理解する

これら3つの似た意味の言葉が存在する理由とその意義もまた、
この「外国語ができるということ」に通づるものがあると思う。
これに関してはここでは言及しないが、
表現が異なる言葉というものは、今は消え去っていたとしても
そもそもルーツも存在理由も存在意義もまた異なるから発生して来たものなので、
そういうことも含めて異なる表現・言葉は使う方が良いということで一旦締めておく。

閑話休題。

基礎の重要性を説かずにはいられない。
基礎がなければ、上には絶対何も建てられないのだから。
もっと簡単に言えば、「家を建てること」と同じである。
ロクでもない土地、ロクでもない材料、ロクでもない技術で始めようとしても
例えそれが出来上がったとしても、それは見かけだけであって
本当の意味での「建てた」ではない、そうは言えない。
それこそ貧ぼっちゃまの家だ(笑)

土地の開墾から丁寧に行ない、普通以上の材料と
普通以上の技術があれば、普通以上のものができあがるというわけだ。
(簡単に言っているが、そこに付随して努力と習得とが必要となる。)


カルチャーセンターに通う他の受講生たちはこんな話をしていると言う。

 「今やっている内容は難しくて分からない。
  だが、文字からまた戻って勉強はしたくない。」

なんという我儘なっ!!! 基礎を軽く見た発言は断じて許せない。
「文字からまた戻って勉強したくない」と言うからには
文字は完璧に読み書きでき、発音も正確にできるのだろうな?
と私はそいつらに問い正したい。
それらができているのだったら、テキストに発音をカタカナで書いたり
毎回進んで行く内容を「難しくて分からない」などとは言わないはず。
ドンドン理解して行っているはずだ。
韓国語を聞いて間違いなく書き取って書けているはず。

「戻って勉強したくない」なんて贅沢極まりないのだ。
戻って勉強したくてもできないことの方がほとんどなのに、
それを一撃で片付けるという…。
戻るからには理由がある。
万物に於いて理由なきものはない。

自分の経験から、

 内容がどんなに進んでも、分からずに躓くところは
 過去に疎かにして来た部分でしかない。
 この文法が分からなければ、この活用を知っていないといけない。
 この活用を知るには、この単語の分類を確認しないといけない。
 分類を確認で来たら、その分類が
 どういう文法規範を持っているかを知らなければならない。

こうして辿ることだけが、上級内容を理解して行く上での
ポイントであることを、一刻も早く気付ければ
外国語を理解、習得することが少しスムーズになるというわけだ。


また、まるで覚えられないことが私のせいであるような
そんな発言、そんな態度にはホトホト呆れる。
(私に外国語を教えて欲しいと言って来た方々から)
こんな想いは今まで何度もさせられて来たが、
外国語を本当の意味で習得することはそんな簡単なことではない。
簡単にできるのであれば、通訳や翻訳家などという職業は発生しなかっただろうし、
その前にその発生の必要性すら生じなかっただろう。
だが、それら言語を操り金銭を得る職業が実在するというところに、
外国語習得の容易さを否定するに値するものが在るだろう。

「単語や文法が覚えられる」ということは
「革新的なことでもなければ、技術でもない」。
覚え方こそ人それぞれ。 そして覚える量も人それぞれ。
また覚える範疇もまた人それぞれ。
それを、「この人から教えて貰えば覚えられる」だとか言うのは
教えて貰う人をロボットぐらいにしか認識していないと思わずにはいられない発想だ。
まさかとは思うが、「覚えること=忘れないことである」という
誤解とも幻想とも思えるものを、案外抱いているかもしれない。
「覚える」という行為と「忘れない」という状態は表裏一体であるのに…。

そもそも、そんな、「この人から教えて貰えば覚えられる」というのは
個人による勝手な思い込みによる幻想そして幻覚に過ぎない。
だとしたら、人類はもっと画一的な脳になっているはずで
「多様性」などという言葉も存在できなかったであろう。
発生はしても、淘汰されていたであろう。
確かに覚える「コツ」はあると思う。 が、覚えることが技術でもなければ、
覚えることによって万物が破滅するなどというようなことは
到底あり得ないということは理解できるだろう。

覚えることほど、地道な努力なものはないと思う。
そして個人の努力でしかできないことだ。
ただ、覚えることはあくまで通過点に過ぎず、
そこから先にある「習得」という段階にこそ注視すべきではなかろうか。
面倒くさがらずに覚えるという行為を実行し、
その行為を継続することで、最終的に習得に至れるようにすること。
習得への道で手助けすることは可能である。
それに対しては私も全力でお手伝いしたいと思う。

だが、「覚える能力をくれ」という神がかり的な発想で
私に対して来るのは甚だ間違った行為であり、
そんな能力を持てる人類は後にも先にも存在できないと思う。
それこそ現在の世界に少数で存在している
記憶に関する脳障害を持った方々にでもお願いすると良い。
彼らは彼らなりの悩みなり苦しみを持ってして
この世を生きているのだから、
そこも含めてお願いできる人がいたら
私はそんな人に是非会ってみたい。

未だに私自身も初めて着手する外国語では
特に文字から学ぶ必要があるものは時間を要しもすれば、
文字自体は自分でしか覚えれられないので
コツコツとやっていることを最後に付記しておく。
誰でも最初は同じ場所に立っている(大概は)。
スタートダッシュが速いか否か、
途中加速が上手くできるか否かは個人に因る。
技術で解消できるところは真似て大いに結構。
しかし技術による解消どころか、
そもそも技術ではない部分を真似るためには
地道な個人による作業だけが、唯一の解消手段ではないかと
という想いに至った今日一日だった。

こんなものを見つけた↓ 漢文ウィキ(笑)
http://zh-classical.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E5%9F%BA%E5%A4%A7%E5%85%B8:%E5%8D%B7%E9%A6%96

高校の時にやった漢文が
まるで生きている言語のように蘇った感じで
こうして使われるのってすごく不思議な感じ。
新鮮でもあるけど。

でも漢文やるより現代中国語(北京語)か
唐代のいわゆる漢語をやった方がどれだけ有益だろうか。
あんな書き下し文なんかで何が分かるってんだ。
それじゃ所詮カタカナ英語と同じようなもんじゃないか。
唐代に書かれた漢語なんだから
当時のキレイな韻律で書かれているし、
使われていた当時の意味を理解する方が
より漢文の原義に迫れると思うのだが。

書き下し文なんかやるだけ時間と労力の無駄。
ホントそんな時間があるなら
現代中国語(北京語)か唐代の当時の漢語をやるんだな。
現代中国語だったら試験科目としても充分使えるしね。

というわけで、漢文表記されたwiki。
見てみておくんなましー。
数年前より気に入り続けている文字がある。
グルジア語やかつてはアブハズ語も表記していたグルジア文字w

偶然グルジア文字フォントのDLサイトを知ったのだが↓
http://fonts.ge/ka/
なんとまぁ! IE全面グルジア文字だらけ!!
なんとカワイイんだっ!!!
全面クルクル~~~♪
マジで可愛い字だw これ書けたら絶対可愛いなwww

ちなみに、何が書いてあるかは一切分からないw
ただ単にクルクルした文字が可愛い♪♪♪と
一人喜び楽しんでいるだけだが至福のヒトトキには間違いナイ!

「グルジア語」を英語で書けばthe Georgian。
そして「グルジア」はGeorgia。
はて、どこかで見た感じ?
「グルジアの守護聖人、聖Georgius(ゲオルギウス)の名に
由来すると推定」されているそうな(byウィキ)。

ちなみに、
原型であるギリシャ語でが Georgios(ゲオルギオス)
                   >現代ギリシャ語Giorgos(ヨルゴス)
ラテン語でが Georgius(ゲオルギウス)
フランス語では Georges(ジョルジュ)
イタリア語では Giorgio(ジョルジォ)
ドイツ語では Georg(ゲオルグ)
スペイン語では Jorge(ホルヘ)
ロシア語では Георгий(ゲオルギィ)

音が違うから皆別人のように思われたのが
実は同じ名前の人だった…というw
世界史の教科書などでかつて見た名前は
実は出所が一つだったなんてことは
ほとんど教えてくれないだろうに。
こういう豆知識ほど応用できるんだけどな…


グルジア文字に関連して
その他書けたら楽しい(だろう)文字はゴート文字↓
http://www.omniglot.com/writing/gothic.htm
ゴシック体と呼ばれるようになった基の文字。
でも可愛さでは、やはりグルジア文字でしょう!!!
絶対オススメ。 グルジア語はできなくても
グルジア文字は書けるようになりたいな!!!!!!!

というわけでクルクル文字で今日は閉めよう!
საქართველო (←「グルジア語」と書いてあるらしいw)


<<追記>>
グルジア語の音が聞けるサイトまであったw
是非聞いてみておくんなまし。
Quick Time必要。
http://www.music-tel.com/georgia/lang/alphabet.html
久しぶりの投稿!と思いきや言語ネタですw



これ、とても面白い!!

偶然人様のBLOG見つけたものだけど

世界各国語で歌われたライオンキングの一部の歌が紹介されている。

歌が始まる前に、何語かのテロップが出るのだが

それを見ずに聞くだけにして、一体何語で歌われているのかを

当てるのも非常に楽しいと思う。



さて、アナタは一体いくつが聞き分けられます?

一発で分かるのは2つはあるはず。

あとは慣れていなければ似たり寄ったりに聞こえ、

なかなか判別しにくいのが正直なところ。



個人的には

 ロシア語

 北京語

 広東語

 フランス語

のものを聞いてみたいと思った。



ちなみに、一番人気はフィン語だそうな。

確か私もフィン語が耳に一番シックリ来た。

その次はハンガリー語。

母音が多い言語の方が合っているのかもしれない。

ただしイタリア語は重すぎる。

なんだろうな、このポイントは。

単に母音が多いだけでもダメなようだし、

かと言ってコレと言って決定打が示せないのが申し訳ない。



でもその2つの共通点と言えば、ウラル語族フィン・ウゴル語派なところ。

何だろうなぁ、本当に・・・。

とにかく皆さん、聞いてみるべし!







 


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