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今日は、国土地理院併設の博物館(?)に一人乗り込んで来た。
先日本屋で偶然『首都圏博物館ベストガイド 理系編』(博物館探訪倶楽部)を目にし、
訪問可能かつ興味を引かれたものをチェックした中の1つがココだっただけ。
いや、正直高校時代から国土地理院は行ってみたかったし(w)、
国土地理院で働くのって楽しそうだなーなどというアホみたいなことを
でも結構マジメに考えた時期もあったので、一度は行くのが夢だった。
社会人になった今では、もはやこうして働いていない時でないと
こういう場所には行けないのだなと、少し虚しくなったりもした。
そんなことはさておき! 憧れの国土地理院!!
場所は筑波にあった。
遠っ。
まさか筑波にあったとはなー ちょっと意外。
で、若干鉄子な私は(w)電車で行こうか、バスで行こうか悩んだ末、
往路はバス、復路はつくばエキスプレスに乗る手段にした。
東京駅から高速バスにて、結局1時間40分orz
首都高と常磐道(?)を通っている間は順調だったんだよ。
(とは言っても東京駅から下町抜けるまでは大渋滞だったけどよぉっ!!!怒)
が、最寄りのICで降りてからが異常に長かった(涙)
途中、建設途中のスカイツリーが間近で見られたのは楽しかったけどね。
ちょっと得した気分になった。
更に! (地図では)国土地理院に近い(ように見えた)「筑波大学」で下車したわけだが
全然近くなかったっ!!!!!! 2ブロック先、それも徒歩で45分も掛かった。
筑波大学、無駄に
デカッ。
バスが大学の敷地に入ってからも延々と道を行き、
構内には路線バスが普通に走っていることと
駐車場と駐輪場がやたらとあること、
そして木々が生い茂ること生い茂ること。
一体ここは何かのテーマパークかっ!?という具合に
広く、色々と混み入ってモノがあった。
終点の停留所=筑波大学事務棟前で下車したのは良いが
方向が全く分からないw こりゃ構内脱出できないかもw;;;;;;
と思いながら、停留所にあった地図を見たが
イマイチ把握し切れなかった。
やや途方に暮れたところに! カップルが来た!
道を聞こうと思ったが、風体が何やらオカシイ。
近づいてよくよく聞いてみれば、ヤツら南中国系のカップルだったw
南中国か臺灣かは分からないが、
とにかく話しているのが南中国訛りの普通話。
コイツらに聞いてもダメそうだな、というか自分がそこまで普通話できねー!
と思ったので、そのカップルは見送ることに…。
で、益々途方に暮れるかなーと思ったところに!
今度は間違いなく日本人と思しき男子学生が一名通過しようとしている。
勇気を出して声を掛けてみた!!! ※変態ではないのでアシカラズw
我:「あの…すみませんが、国土地理院の方向ってどっちでしょうか?」
彼:「(聞いていたiPodを外して)あ、はい? あぁ、国土地理院ですか!
それならこのまま道なりを行って1つ目の交差点で右折して
そのままずーーーっと真っ直ぐ行ったら2つ目の交差点でまた右に曲がると
右側に見えて来ます。」
我:「(一気に長い説明すなっ!) あ、えぇーと…これこれこーで(復唱確認中)…ですね?
ところで距離はどれぐらいですか?」
彼:「えーと、結構近めです。 はい、近いです。」
※この最後の「はい、近いです」がこの後事実に反することが判明するw
彼との会話で笑ったのが、「国土地理院ですね!」で
彼のテンションが一気に上がったことだ(笑)
恐らく「自分の知らない場所を聞かれたらどーしよ、困るんだよな」的なものがあったのだろう。
それが聞いてみればお隣の国土地理院の場所を聞かれただけだったためなのか、
或いは自分の知っている場所が聞かれて安心したのかで
彼の声が揚々と上がったのがハッキリ分かった(笑)
何よりも、国土地理院がそんなに身近なのかっ!?という感じがしたのが
私の中でツボだった(笑) そしてちょっと羨ましくも思ったり…。
最後お礼を述べ、彼のナビ通りに歩き出した。
構内は木々が生い茂りまくっているため薄暗い所が多く、
意味もなく不気味だった。 途中すれ違う学生たちは皆車か
自転車に乗っているではないか!!!
まさに場違いにマジメにひたすら歩く私はミジメ。
それもこんなに歩くとは思わなかったため
サンダルを選択した自分が恨めしくなった。
チキショー! 暑いし、もう9月だって言うのに滝汗になったじゃねーか!!
それにサンダルがダメになるのが最も心痛いんですけどorz
という憎しみが増しながら、結果45分歩いて到着した。
というか…
近くないっ!
全く近くないしっ!!
彼ら筑波大生にとっては「近い」という形容で合っているのかもしれないが、
常識的に考えて、あれはどー考えても「遠い」という形容しかできない距離だ。
だって徒歩で結局45分だよ!? それのどこが「近い」だっ!?!?!?
そして地理院前は畑の中にポツンとコンビニとガソリンスタンドがあるだけ。
あとは畑と、もしくは木(笑)
なんつー自然満載な所なんだwww
県道だか国道だかに沿って延々と歩いて到着したので、
帰路が心配になったのは言わずもがなw
地理院前の停留所で駅方面行きの時刻表を確認してから入ろう!
と感が働いたのが幸いした。 案の定バスの本数がないwww
1時間に1本あればまだ良い方だ。
時間帯によっては2時間来ない(爆)
ナニココ。
しかもだ。 バスは、どこか止まりなんだかどこか経由なんだかがイマイチ分からず
とにかく乗り遅れたら2時間来ない時間帯に、今自分がいることが判明したので
あと1時間内に来る次のバスに乗らないといけないと一気に焦りが出て来た。
せっかく敷地内に設置されている巨大パラボラアンテナを見つけて
テンションが上がったのに、これじゃまたテンション下がっちゃったよorz
とまぁそんな落胆していると益々時間がなくなるため、
停留所を離れてイソイソと国土地理院に入って行った。
もちろん入り口では、滝汗を拭き拭き「国土地理院」の石碑をパシャリ。
警備のオジサンには白々しくも「併設博物館の入り口はどこですか?」
などと聞いて、不審者オーラ払拭に勤しむ自分w
無事入口に入ると右側の小さな受付で氏名と入館時間及び目的を
それも「EXCELで簡単に作られたんだなー」というのが
一発で分かる紙ッペラに書き込み、オジサンにパンフレットを貰って見学開始。
1Fが常設部分で、一角にはショップがある。
帰りに見る時間を計算して館内回るか、などと思いながら
1F奥にある資料室に向かった。 いかにも大学院の研究棟!といった感じの建物で
行ってみると、やはり簡単には資料は見せてくれないのだった。
「研究以外の閲覧は禁止です」の貼り紙。
-_-^;;;;;;
致し方なく資料室内部まで入るだけ入って即退散。
時間が若干無駄になってしまったorz
気を取り直して1F部分を丹念に見始める。
とにかくテンションが一気に上がって、盛り上がった気分のまま2Fへ。
2Fは常設と企画展示とがあり、今回の企画展示は
航空地形写真だった。 撮影(飛行)機が引退したのを記念して
その歴史紹介として、これまで撮られた航空地形写真が飾られていた。
四川大地震や中越地震の際の地形変化が分かるものもあり、
地理というか地図というか地形オタクな私にはウハウハなものばかり(笑)
「こういうのが見たかったのよねー♪」などと一人悦な気分に浸って、
残る1Fのショップに向かった。
この時点で残り20分。 外には大きな地球儀もあり、
それも登って見たいのにっ!!!と思いながらも強行で見て来たw
(野外の大地球儀は登れるのだ)
ダッシュで地球儀を見て来て、ショップでは航空地形写真集を探した。
が、そんな高価なものはないらしく、作ってもいないようだった。
しかし! ショップにはデカデカと飾られているのだ。
北海道から沖縄までの航空地形写真がっ!!!
ちょ~~~デカイパネル写真なのだが、
どーしてもコレが欲しい!と思って(w)、ショップのオジサンに聞いた。
さすがにデカ過ぎて持って帰れないし飾れないサイズなのでw
写真集のようになっているものはないかと尋ねたところ、
私の日本語の説明が悪いのか、あまり通じていなかったorz
結果的にはパネルにしてあるものはあるが非売品で、
ましては写真集のようにしたものなどもないことが分かった。
製品化していないのだそうだ。 残念極まりない;;;;;;
せっかく行ったのだから、国土地理院らしい何かお土産を買いたかったのだが
コレと言ったものがなく、残念ながらスゴスゴと帰って来た(涙)
手にはそう、パンフレットだけ(爆)
何とか帰りのバスにも間に合い、
それも後ろ乗り乗車券制! ちょっと手間取ったw
更にバスに乗ってみると、後ろのドアから後ろ側は対面座席w
バスで対面座席って初めてなんですけどwww と
一人無駄にドキドキしながら、小心な私は端の席を陣取る。
が、あまりにレトロなバスだったためどーしても写真に収めておきたく、
つくば駅に到着する少し前に一番後ろの座席に移動し
(一番後ろの座席は、都内を走る一般路線バスと同じく進行方向向き)
社内風景をパシャリパシャリと撮影した。 ご満悦の私(笑)
(つくばエキスプレスの)つくば駅前に到着すると
ロータリーはすごくキレイに整備されている。
駅ビルもロフトやら色々入っている。
せっかくだからと見て帰りたかったが、退勤ラッシュに巻き込まれるのもイヤだったので
そのまま駅でも何も見ずに帰宅することにした(アホw)
つくばエキスプレスの改札は地下になっていて、ひたすら潜る潜る。
せっかくの茨城県!と思って景色の見える位置を陣取り、
眩しいのは無視でブラインドを上げるwww
どこまでも続く田園風景。 同じ関東地方とは言え、
やはり東京や横浜とは随分違うものなんだなぁと感慨深くなった。
急行でも秋葉原まで結構時間が掛かるため
途中飽きて寝てしまうだろーなーと思っていたら、
車両は静かでキレイ、風景も興味深いと相まって
乗っていても飽きず、結局一睡もしないまま秋葉原に到着w
おぉぉぉ~~~随分快適な電車の旅だったなーと感心。
で、終点から終点まで乗ってみて気持ち良かったのも束の間。
秋葉原では案の定退勤ラッシュに巻き込まれてモノスゴイ人ごみorz
本当に人「ゴミ」だった。
それにしても、今日は一日オタクな日になった(笑)
目的地 :国土地理院
利用手段 :高速バス及び電車
それでもこんな旅、実はずっとやってみたかった。
あー 楽しかった♪
次はドコ行こうかな。
大学時代にラテン語の授業で2年間お世話になった
柳沼重剛先生が、2008年に亡くなられていたことを今更ながらに知った。
私は2000年と2001年の各通年、ラテン語Ⅰ~Ⅳまでを受講したのだが、
当時先生は定年されて嘱託としてこのラテン語の授業を週に一度担当されていた。
そして2002年3月、その嘱託としての教員人生も終了されるということで
先生の人生に於ける【最後の学生】となったのは、私を含めて3人だった。
音楽学部楽理学科のザンちゃん(私と同い年)と
同じく音楽学部の器楽学科先輩の方と私。
授業は、金曜日の4限目ということもあって
しょっちゅう居眠りをしてしまったのもまた事実であったが、
そんな私でも声を大にして言えるのは、
先生の授業は本当に興味深かったということだ。
柳沼先生は、博学な大学の教員なのだと私は思う。
自分の研究内容だけをひたすら話し続ける大学教員、
いわゆる教育ができない大学教員が溢れる中、
先生はご自分の研究されて来たこととそれを実際の社会とを結びつけて
今を生きる私たちに何をどのように見て、どのようにして行くのかということを
非常にしっかりと地に足のついたオーラと共に
私達3名に伝えて下さったと感じている。
私たちはそれぞれ専門は異なるものの、
縁あって金曜4限のラテン語の授業で会うことになり、
何よりも柳沼先生と共に時間を共有させて貰えたことで
大学で学ぶこととは一体何なのか、
学んだことはいずれにせよ社会に還元せねばならないのだ
と思わせて頂いたのだと私は切に思える。
毎学期、テストの代わりに学期中に学んだ課全部の
ラテン語作文を提出することになっていたのだが、
どれ一つとして正解していない私のラテン語作文を
先生は、毎回一つ一つ丁寧に添削してコメントを書き加えて下さった。
2年も受講していながら、こんなにも不出来な学生で
本当に申し訳なかったと今でも思うのだが、
2001年後期分、つまり2002年1月末に提出した最後の作文レポートが
3月も終わる頃、郵便で返送されて来た。
提出の際に、郵送返却するので住所を教えて欲しいと仰ったのだが、
そのレポートの最後には、赤いボールペンでこう記してあった。
「春からNHKで講座を受け持っています。
よろしければご参加ください。」
ラテン語に興味があった私だから大学でも履修したし、
またこの連絡を見てもまた、是非受講したい!と思ったのは本心だったが、
何分かなりの不出来だったため、このような学生では先生に失礼だと思い
受講するのをやめてしまい、その後もついに一度も受講することはなかった。
何年かして、この講座についてやはり受講しようと調べたが
私の検索下手のせいか、見つけることができずに終わってしまい、
でも先生の講演のようなものがあれば是非聞きに行きたいとはずっと思っていた。
それが先ほどふと調べたことで、先生の訃報を初めて知るようになり、
今非常にショックを受けている。
本当に最後の最後まで、私は不出来な学生、不出来な人間だった、と。
恩を仇で返した、そんな気がしてならない。
恐らく自分ももう二度と大学で勉強することもなければ、
ましてや柳沼先生のような方にお会いできることも
先生のような方の下で学べる機会も二度と来ないであろう。
そう思うほど、当時の自分の勉強不足と不出来さ、
そしてあの時間の尊さが身にしみて、先生に対する申し訳なさと
悔しさとが湧きあがって来て止まない。
柳沼先生、ご冥福をお祈り申し上げます。
どうもありがとうございました。
そしてご挨拶が遅すぎたことも含め
不出来な最期の学生で申し訳ございませんでした。
幼馴染のお母さん(以下、歳母とす。)から以前より
韓国語を教えて欲しいと言われていたが
今回改めて引き受けることにした。
現在無職の私だが、家で自分のことだけをやるよりは
少しでも生産性のあることを…という思いもあり、
具体的に話を進めることにした。
今日はその打ち合わせをして来たのだが、
14時に約束して終了したのが18時。
これから先授業が開始した時のことが思いやられるorz
さて、韓国語歴4年と5ヵ月の歳母。
その4時間のヒアリングで色々と感じたことはあったが
そんな中でも
(語学に限らず)覚えることが苦手
機械もかなり苦手
聞いたことあっても思い出しにくい
という本人からの申告もあったものの、
それでも韓国語を覚えてもう少しマトモに
話せるようになりたい!という想いの方が強かったため
今回私に家庭教師をお願いしたいという
最終連絡が来たのであるが。
その心意気、見習うべきところであろう。
とは言うものの、やはり私の感触としては
虫食い状態の、かつアヤフヤな知識が
間違った捉え方によってゴリゴリに固まっているので
前に進めるにはかなりな時間を要するだろうという所感は否めず;;
一瞬ではあるが「相当厳しい道のりになりそうだ」
と怯んだことも間違いない。
しかし、その覚えたいと想うそのパッションがまだ出て来るという点は
は非常に評価できるところである。
これから先少しでも前に進めるか否かの分かれ道になるであろう。
そして私のミッションの1つにもそれはつながる。
それは、本人のそのパッションを如何に維持し、
なるべく早い段階でそれを向上させて行き
習得に活かせるようにするか、である。
(特に)この10年近く、様々な外国語を勉強した私の経験からして
(たった10年かもしれないが^^;;)
外国語は使わなければ使えなくなるもの
自分で勝手にゴールを決めてしまい易い=諦めやすいもの
なので貪欲さがあるほど身につくもの
そして、異なるものは一旦はそのままの形で受け入れて消化するもの
だと思っている。 所詮外国語だけでなく異文化という
異なるものというものには、拒絶反応が一旦は出て来るもの(だと)。
好きと嫌いの山をいくつも乗り越えて行くことが外国語学習であり、
その途中途中にあるのが、例えば外国語での
コミュニケーションの成立だったり、検定合格だったりするのである。
残念ながら、私は韓国は嫌いになってしまったが
幸いにも韓国語はまだ嫌いではない。
言語としては、まだ「面白い」と思える。
これがなくならないよう維持することもまた、
今回の家庭教師の時間での自分による自分のためのミッションだと思うし
外国語ができるということの楽しさを少しでも感じて貰えるようにすることもまた
自分による相手のためのミッションだと思う。
語学が(多少なりとも)できるようになる。
というのは簡単なことではないが、
情熱がある限り(そのスピードはともかくとしても)少しでも前には進める。
細く長くできることが、この語学習得に関して言える最たるものではなかろうか。
ところで。 これから教えて行こうというところで、
自分が韓国語初級の頃は一体どうやって身につけて行ったのだろう?
と、改めて考え直す必要が出て来た。
が、残念ながら時間が経ってしまったことと
本人と自分の置かれた環境が全く異なっていることで
それを今の私が思い出すことはかなり不可能になっている。
でもそれでは自分が困るし、自分のやり方では相手のためになるかどうかは
全くの未知数。というわけで…
では自分も同じ状況になってみれば良いかも?
という発想に。 5年ほど前に始めた北京語(普通話)が
その後虫食い学習に入って今に至るため、
では自分は北京語で似た状況を作ってみよう!と思い、
北京語のテキストを引っ張り出して来ることにした。
恐らく歳母の韓国語力>私の北京語力だと思うが、
外国語を学ぶにあたってのコツというのは少なからず
私は身につけているつもりだ。
どういう方法があるのか、だとか
どんな風にやるとどうなるのか などといったものは
言語に左右されず大体は参考になると思われる。
相手は韓国語、自分は北京語
これによって学習者の心理を理解して
相手にとっても自分にとっても楽な学習になればと思う。
如何に楽して如何に長く如何に身につけて行くか
外国語を習得する上で、これは非常に大切だ、と。
会社からの記念受診義務である人間ドックを受けるハメになったのが
先月の15日。 チキチョー!!!
これに関しては別途書かせて貰うので
今回は人間ドックの健診結果についてお話を。
スッカリ忘れていたこの健診結果。
外出中にA4の郵便で届いていたものを本日確認。
健康に特段自信があるとは言わないが、
だからと言って大きく悪いところもないという自負(?)はあったわけで
そんな思いの中、でも少しだけドキドキしながら郵便を開封した。
ら。
ら?
婦人科項目でまさかの D判定 !!!
何ーっ!!!
…とは言っても、心当たりはアルのだ。
それは遡ること今年の1月。
大連出張が決まっていた前日の夜。
残業中に、私の人生初の膀胱炎発症!!!
記念すべき「初」なのか何なのかは分からないが、
とにかくついに発症してしまったこの病気。
ある意味我が家の継承病(今命名w)なのだがwww
膀胱炎の発症原因としてはほぼストレスらしいが
このストレスというのが思っているよりも厄介なのだ。
婦人系の病気もストレスが各症状を誘発するというのだから、
今回のD判定もまさにそこに起因しているのでは!?
と思わずにはいられない。
退職してから早1ヵ月とちょっと。
やっと無能な社員たちとの仕事による
無駄なストレスから解放された!と思っていたが、
退職処理で色々とモメているのが現状だorz
出勤していた日を欠勤扱いされ、
休日出勤日数は完全に無視された状態で
有給休暇を消化させられて退職日を勝手に決められた。
これだから無能な庶務担当というのは困る。
死んで詫びて欲しい。
無能な社員ほど不要なものはない。
D判定>膀胱炎>ストレス>無能な庶務担当たち
=諸悪の根源
こんなのが根源で私の健康が害された&されていると思うと
この憤りの表現のしようがない。
健康を害するのに故意的なものはない。
むしろこうしてロクでもない輩たちが原因で
本来健康であったものが害されたのは明白な事実。
そして健康を害するのはタダだが、
健康を取り戻すのにはお金は愚か時間も心労も
余計にかかるのである。
そしてそれを負担するのは間違いなく個人。
何たるアンフェアな!!!!!!
元凶たちに賠償をさせたいぐらいなのに、
どうやってもそれが実現できないのが現実だ。
チキショーッ!!!!!!
と思いつつ、今日午後早速精密検査の予約を入れた。
一日も早い元の自分に戻れるように…。
Super Mario Galaxy 2と共に!
嵐が本気になってやっている(ように私には見える)CMが
気になっていたのだが、まさか我が家に来るとは思ってもみなかった。
早速
思ったよりも数倍、数十倍難しい!!!
何が難しいって、全てが3Dなために
操作を上手くコントロールできない!!!
左右別のコントローラを持って、
それぞれに3Dの動きを要求されるため
体までもが斜めや前のめりになること必至。
運動神経が意外とヨロシクない私なため、
本当にこの操作が難しいのだorz
そして、何よりも左手で操作するコントローラッ!!!
これが痛いの何のって!!! …痛いのだ(w)。
棒状のコントローラとでも言うのか、あのデッパリに慣れないため
その操作で左の親指が、時間とともに赤黒く
そして指先表面が硬くなっていく。
で、夜寝る頃には、指先が常に痺れた状態になってしまい
ジンジンジンジンしてそれが止まらないorz
更には! Galaxyというだけあって
宇宙に浮かぶ惑星が舞台となってゲームが進むため、
高所でのゲームがほとんど。
つまり、ゲームアウトの場合は(そのほとんどが)
画面から落ちるのだ。
これが高所恐怖症の人には、たまらなく怖い(はず)。
実は高所恐怖症気味の私には、
本当にこの「落ちる」動作がドキドキ怖くてたまらない(涙)。
この痛さと「落ち」のおかげで、
「やりたくない」と結構マジメに思ったゲーム機は
これが初めてになったw
※8/3追記
結局、昨日からの左親指の痺れは今日も続き、
赤黒さは相変わらず続き、ジンジンビリビリも継続中。
Wiiはしばらく、やりたくないと思った(相当本音)。
いよいよ最後になった。
おめでとう自分!
あと一日だ自分!
昨日から3連休。
でも家で仕事…何たるこの現実!
2年前の今日、今自分の居るココ、ソウルに旅立ったのに
2年後の今日は、大連に向かおうとしている自分。
何という現実! 一体誰がこんなことを予想できたか。
あと2時間後には起きないといけないのだが
実はまだ準備が終わっていなかったり!?(爆)
でもうもういい加減寝る。ほぼ準備終了。
あとは起きて詰めるもの!
何か昨日から調子が出ないんだよな…
中国語のクラスに出てもそうだしorz
今日のフライトも、たった1時間だから寝られそうもないし;;
でもきっと夜は歓迎会だろうし。
あ、そっか。 今回は自分一人で大連入りか…
ということは歓迎会は私一人かorz
それも若干気が重いが…まぁ致し方あるまい。
明日は総経理合流。
そしたらまたきっと何かあるに違いないorz
週末ぐらいはちょっとゆっくり、でも大連楽しみたいゾ!!
そう、今回の出張の楽しみの中で一番期待してるのが…
自分以外の日本人に会うこと!!!
いやぁ~ 久々の(自分が知っている)日本人は
何だか妙に楽しみでしょうがないな~♪
と、とにかく! 仕事も遊びも頑張って来るゾッ!!
P.S. そう言えば日本はSilver Week終わったね…
今日から通常業務だ。
まさかまた韓国に居て、そしてこの2年目最終日を韓国で迎えることとなるとは
一体誰が予想できていたであろう?
まるでその2年前の始まりの日もまた、遥か遠い昔のことのようだ。
今のうちに書いておこうと思ったのは、明日9/24(木)には出張で大連に居て
書き込みできないかもしれないからだ。
そうだね、3年目をまさか大連で過ごすことになろうとは、
これまた誰も予想どころか、思ってもみなかったはず。
何せ、かく言う自分が一番思ってもいなかったのだから。
人生いつどこで何がどう起こるか分からない、だからこそ楽しいのだが…
またそれにも努力が必要なのである。努力と進化なくして、
次のステージには上がれないのだ!
ということも忘れてはならないことの一つだ。
海外生活開始3年目スタートに向けて、心新たに明日を迎えたいと思う。
そう、全てが始まった2年前の明日に感謝して前に進むことにする。